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ニュージーランド発の映画ブログ

ジブリの「風立ちぬ」が好きだと言うと心の冷たさを白状しているようでつらい

※このエントリは内容のネタバレを含みます

スタジオジブリの「風立ちぬ」を劇場で鑑賞した日のことを今でも覚えている。まだ僕が日本で社畜をやっていたときだ。

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当時つきあっていた彼女とふたりで観に行ったのだが、そのときすでに自分の中では会社を辞めてニュージーランドに留学することを決意していた。ただどうしても彼女に打ち明けることができず、ずるずると気持ちを引きずったまま観に出かけたのがこの映画だった。

「風立ちぬ」は飛行機映画でもなければ悲恋の物語でもない、あまりに薄情な男の自己弁護の物語だ。

主人公の堀越二郎は一流の設計技師であるが、他人に対して全く関心がない。妹との約束は何度もすっぽかして「にいにいは薄情者です」と怒られてばかりだし、クライアントである軍隊との会議でも話を聞いている様子がまるでない。その上、病床の妻・菜穂子が顔色をよく見せるために毎日化粧をしていることにすら気づいていない。

彼が気にしているのは、よりよい飛行機を作ること、ただそれだけだ。

映画のラストシーン、幻想の中に現れた亡き妻にむかって、二郎は「ありがとう……ありがとう」と呟き、涙を流す。

この「ありがとう」が寒気がするほどにわざとらしい。素人声優ながら主役に抜擢された庵野秀明の大根演技と笑うのは簡単だが、これは計算されたわざとらしさだろう。

堀越二郎は人の心がわからない男だ。結核を患った妻のそばでもタバコをすぱすぱ吸いながら仕事するような男だ。それが最後の最後に心の底からありがとうなどと言うか? あの「ありがとう」は、ここはありがとうと言いながら泣いとくべきだという打算のもとに吐かれたセリフだ。だから感情のこもってない素人の大根演技で正解なのである。宮﨑駿のキャスティングには脱帽するほかない。

そう考えると、薄情者の二郎が震災のさなかに菜穂子を助けたのも、唐突な逆プロポーズに何の躊躇もなく応じたのも、すべては「ここは女性を助けるべき」「ここはOKと言っておくべき」という計算ゆえの行為だったと説明がつく。おいおい、最低の男じゃねぇか。

あのわざとらしい「ありがとう」を劇場で聞いた瞬間、二郎のすべての行動と薄情さが自分とオーバーラップし、もはや隣りにいる彼女に顔を向けることができなかった。結局、彼女とはとんでもなくひどい別れ方をした。

自分の心をざっくりとえぐってきた作品として、「風立ちぬ」は僕の人生の中で指折りの印象に残る映画になっている。ジブリ作品でランキングをつけるなら間違いなく上位にくる。だが、「風立ちぬ」が好きだと公に口にすると、わたしは心の冷たい人間ですと白状しているような気分がして、恥じ入らざるを得ないのだ。